どうして求めてしまうんだろう。人との繋がりと自分の本音について。

心を学ぶ

不器用で人付き合いが苦手なあなた、自分の気持ちに気づけてないあなた。

こういうのありますよね。

「会社の人だから。別に仲良くしなくたっていいよ。」

「仕事だけの付き合いだから。」

「必要以上に話すこともないし、別に期待もする必要もないよ。」

「学校じゃあ仲の良い人とだけ一緒にいればいいや。」

「あの人気まずいし。別に気にする必要ないよ。」

こんなふうに、自分の中で「そんなに無理に関わらなくてもいい」「気にしなくていい」「どうでもいい」とか優先度低めの分類を作ってるってこと。

こういったことを調べると「無理して関わる必要ない」とか、「気にしない」とか、「関わらなくていい」とか、「受け流す」とかいろいろ出てきますが、

そんな「気にしなくていい人」と上手く話せた時って、やっぱ嬉しいんですよね。

意識してなくても、「あれ、なんか楽しいやんけ」「笑ってるやんけ」「いやいやもっとむすっと過ごしてたんじゃないの」って、どっかに生まれるわけです。

そりゃあ100%本気で笑ってるかっていったら、そうじゃないことも多いかもしれないですが。

それでも間違いなく、嬉しい気持ちがあるわけで、その気持ちに嘘をつくことはできないわけです。

逆にその「気にしなくていい人」とか「どうでもいい人」と同じ空間にいるのに全く話さなかったり、話しても無表情だったりすると、なんだかどっかに気分悪いあなたがいませんか。

「気にしなくていい」はずなのに、どっかで何かを感じているあなたがいるわけです。

ストレスを受け流すってのは大事ですが、自分の本音に嘘をつくと病気になるってのを僕は経験してるので、これってやっぱりそれなりに仲良くしたいという欲求があるってことなんですよね。

話せて嬉しかったり、気まずくてストレスだったりしたら、その裏には少なからず相手に求めるものがあるんですね。

で、これを攻略できた時が意外と嬉しいし、上手く関われると気持ちいいわけです。

ちょっと違ったケースで具体例を上げると、

「普段からわりと”つんつん”しててちょっと関わりにくい人」と一緒に何かしなきゃいけない時に、話してその人が笑ってくれたり、ちょっとしたことで笑いあえたり、穏やかな雰囲気で作業しきった時に、なんだかすっきりした気持ちになる。

「意外と楽しくやれたな」

「おもしろかったな」

ってなるわけです。

「どうでもいい」はずなのに。

やっぱり心の中に仲良くしたい欲求があるってことですね。

マズローの「階層説」 欲求の5段階では、愛と所属の欲求というのがあって、人と繋がっていたいという欲が人には存在するといわれています。その上には「承認欲求」があります。認められたいという気持ちですね。

「気にしない気にしない」と思っても人と関わっていたい、認められたいといった欲求があるわけです。

その気持ちに嘘をついて行動しても結局苦しいだけということですね。

その欲求を叶えるための行動をとっていかないと結果的に「すっきり」とはならないわけです。

人と関わる中であなたが嫌だと感じる。その原因は何なのか、ちゃんと理解するのが苦手なあなた(僕)はこうやって本当の自分の気持ちを考えられるように知識もあった方がいいんだと思います。

そうはいってもみんなと上手くやるのは難しいので、「好意の1対2対7の法則」というものを忘れないようにいきましょう。

10人いたら、自分のことを好きな人は1人、自分のことが嫌いな人は2人、中立が7人と、概ねそんなふうに分布するそうです。(参考:ストレスフリー大全。著:樺沢紫苑)。

ここからわかるのは

自分のことを嫌いな人が必ず現れるようにできている。

自分のことを好きになる人がいる。

ほとんどの人は自分に興味がない。

7人は親切にしておけば親切を返してくれる可能性が高くなりますし、

1人自分のことが好きな人がいてくれる。これは安心できますね。

まとめると、

・感情の裏には本音があったりするよってこと。

・本音に気付ければ本当に欲しいものまでの道すじが考えられるよってこと。

・普通に付き合える人なら上手く付き合っちゃう方がけっこう楽に過ごせたり、楽しかったりすることあります。

ってことです。

p.s.

って自分にも書いてるわけです。

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