「あきらめたらそこで試合終了ですよ」、漫画「スラムダンク」に出てくる安西先生の名言。
この言葉は現実でもいろんな人に元気や頑張る力を与えていることは間違いないですよね。僕自身もこの言葉に力をもらった1人です。
「苦しい」「もうあきらめてしまおうかな」という時に、「まだ終わってない。頑張ろう」と思わせてくれます。
そんな素敵な言葉ですが、捉え方が大事だなと思ったので話していこうと思います。
今頑張っているけど、苦しい。上手くいかない。自分を出せない。このままでいいのかな?
今の仕事や頑張っていることを続けるべきか、やめるべきか、悩んでいる。でもやめるのが怖い。
そんな時に読んでほしい、背中を押してくれる話です。
余談ですが、記事の最後にちょっとした〇〇があるので、良ければお願いします(笑)。
挫折と転機の昔話 ~挫折編~
僕の昔話になりますが、新卒(社会人1年目)の時の挫折と社会人5年目の時の転機について。
僕は資格をとるために18歳で専門学校に入ったんですが、そこでこれ以上ないというくらいに勉強しまして、自分に自信がつきました。
「あ、俺って努力することができるんだな」「結果は努力してればついてくるもんだな」と思えるようになって、働き始めます。
働き始めても毎日本を読んで勉強して、わからないことを調べて、仕事に行く。
そんな生活を送っていました。指導者からいわれた課題もやって、新しいことを学びたいし、まだまだ実力がないから努力しよう。そんな感じにスタートした社会人生活。
しばらくすると、指導者が廊下の向こうで周りの人たちに話している声が聞こえたんです。
「あいつ、前のやつと雰囲気が反対なだけで、結局同じだわ。勉強しねえし、だめだわ」って。
自分のやりたいことを探したかったことと、取った資格でいろいろ勉強したかったので最初の職場は非常勤で選んで、勉強したらお引っ越しができるようにと選んだ場所だったんですが、どうやら一年前にも非常勤職員がいて、その人がめっちゃ嫌われていたようなんです。「勉強しない、態度が悪い」それが嫌われる原因だったんだとか。
そして僕も指導者から同じレッテルを貼られたようでした。
その頃から指導者のあたりもきつくなって、「どうして勉強しないの」と毎日のように言われるようになりました。
僕は「努力が足りないんだ」と思い、勉強する時間を増やして、そのためにご飯を作る時間を削ってコンビニ弁当にして、とにかく時間を勉強に充てる。職場では、指導者が怖くて思ったようには話せないけど、本を読んでわからなかったところを聞いてみたりとできる限りの努力をしてみました。「〇〇の本でこう書いてあったんですが、ここがわからなくて、どう思われますか?」とか「忙しい中すいません」と謝りながら聞いてみるとか、当時の僕の精一杯をやってみました。
結果としては、「勉強してるふりすんな」が毎日の中に追加されました。
既に苦しかったんですが、僕は「勉強が足りないんだ」と思ったので、勉強する時間をさらに増やしました。仕事終わりが18時、買い物、入浴、ご飯を済ませて、21時とかから翌朝4時くらいまで勉強する。仮眠をとって、6時とか7時半くらいに起きる。気づいたらそんな生活になってました。それでも指導者の人から言われる内容は変わりませんでした。
「努力すれど努力すれど、どんどん嫌われていく、どんどん苦しい言葉を言われる。プライベートでも休まる時間がない」
仕事中は苦しいこと言われるし、家に帰っても勉強しなきゃいけない。寝る時間は2~3時間。
頼れる人も周りには住んでない。
家族も遠方。
友達も遠方。
彼女も遠方。
職場と家しかほぼない。
家はアパートで1人暮らし。
会社以外の人とは頑張っても週1か2週に一回しか会えない。
そんな環境が僕をどんどん鬱にして、アトピーも発症しました。
2~3ヵ月。たったの2~3ヵ月。
でも初めての職場、職場以外に人と会えない環境。120%の努力で得られるものは「人から嫌われる」という結果。誰からも認められず、自分でも自分を認められなくなってきた。
そんな日々が続いて2ヵ月から3ヵ月くらいしたころのこと、納涼会という飲み会にいくことになったんですが、帰りの電車で指導者と一緒に乗ることになり、指導者は若干酔っていた様子でした。ボックス席に職員4人。そしていつもの話になります。
既に心身ともに疲労困憊の状態で気を使うお酒の場。そのあとに電車で指導者。「なんで勉強しないの」「勉強してるふりすんな」「しね」と強く言われたことだけを鮮明に覚えています。この時に何かが自分の中で壊れたような気がしました。「壊れた音がした」とか「崩れるような感じ」とかいくつか表現がありますが、今思えばそんな感じだった気がします。
「このまま頑張ったら俺は本当にしぬ」そう心の底から感じたので、勉強するのをそこでやめました。
幸いにも、就職してすぐに「来年産休明けの人が帰ってくるから、今から就活しといてね」と言われていたので、期限付きの地獄です。
日中は地獄の苦しみを受けるので、帰ったら勉強せずに気持ちの整理をすることに専念です。そんな1年で、頑張れない自分と、いつも勉強しなきゃいけないと感じて休めなくなった自分、どんどん皮膚状態が悪くなる体、鬱のような雰囲気になった自分が誕生しました。
この時はもう家に居ようが、友達と居ようが、彼女と居ようが、「この時間が終わったら会社で地獄の時間を過ごすのか、こんなことしてていいのか、いや、今楽しまないと。でも何やってても苦しい」と思うようになってました。
次の職場でもなかなか頑張れなくて、周りの人達から「「勉強してねえな」「だめだわ」って思われている」と、この感覚が消えなくて自分を出せない。そんな生活が続きした。
細かく言うとその中でも「この人から学びたい」とか「これを学ぼう」とかいくつかあったんですが、勉強しようとすると胸が苦しくなるという状況で結局ほとんど頑張れなかったんです。
で、恋愛にも終わりがきて、仕事にも恋愛にもケジメをつけたかった当時25歳くらいの僕は、2度目の職場変更をします。
挫折と転機の昔話 ~転機編~
恋愛にも、仕事にもケジメをつけたくて、「次はこの分野をやってみる」と決めて職場を変え、住む場所を変えました。
これが転機になります。
次の職場ではほぼ1人部署となり、他の部署との協力はあるものの、自分の思うようにやれる環境でした。
隣の部署にはやる気満々のリーダーがいて、イメージ的には「東京カモガシラランドの、鴨頭嘉人さん」みたいなイメージの方で、もぅ元気もらえるもらえる。協力したい気持ちも引きだしてくれるし、やる気も底上げしてくれる。そんな人に引っ張られてもりもり働きたい人達でチームになっている環境。
ここに1人部署の僕が協力して一緒にサービスを提供する。
「仲間と働く感覚」と「主体的に働く感覚」これがもう、、自分の世界を変えてくれました。
「この人達めっちゃ頑張ってるじゃん、すごいな」「俺もできること協力したいな」「もっと力が欲しいな」と思わされました。
1人部署の分、責任も仕事の成果も自分の実力次第で、今までの勉強不足が悔やまれましたが、主体的に働ける環境が自分にはありがたくて、これまで苦しかった仕事も少しずつですが、楽しくやれるようになりました。
周りにいた職員も同年代が多く、仕事中も徐々に楽しく話せるようになり、「仕事が苦しい、勉強すると苦しい」というのもありましたが、自分にしかできない仕事があるので、できなくて困っていることを解決するために調べる。そんなことを少しずつやっているうちに仕事に一生懸命になれて、行動力と少々の自信を手に入れることができました。少しずつ良くしていきたい気持ちも強くなり、3年が経つ頃には社内でトップを争える社畜になりました。8時間労働の契約で、”朝から働いて日が変わってから仕事が終わる”なんて日もありました。
そしたら、周りから仕事ももらえるし、情報も持ってきてくれるし、会社の中で着ることがどんどん増える分けです。自分の行動力も上がるわけです。
まぁ、それがいいのかどうかは置いておいて、「自分が役に立てる存在になれる」ということが嬉しくない人はいないじゃないですか。
今回も1年目と同じく”努力”というものをしていますが、正直言って自覚的には1年目の時の方が努力してたと思います。今はそれなりに睡眠時間も取れてますし。
ただ、努力を続けられた期間は断然に環境変化後ですが。自覚的には1年目の時の方が上なんです。
同じ努力で違った結果。環境が違うだけで得られる結果も違うんだなと実感させられました。
1年目にあれだけ苦しかった仕事なのに、、、自分から「もっと良くしたい」と思って働くとは。新卒の頃には想像もつかなかった状況になったわけです。
見える景色が全然違うわけです。
それが功を奏して、表情にも態度にも出てたんでしょうね。プライベートでも素敵な方と出会うことができたりして、いいことがいいことを呼んでくるように状況が良くなりました。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」の解釈
冒頭に戻りますが、
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生の言葉。
これは今やっていることに対して使える言葉で、「今の仕事をやめたらそこで今の仕事は終わっちゃうよ。本当にそれで悔いはない?」と僕は解釈しています。
これが、人生に対して使うと捉え方が変わるんです。
今やっていることをやめても人生は続いていきます。どんな形でも続いていくんです。人生の終わりは「死ぬこと」。つまり自分で死を選ばなければ終わりじゃないってことです。
今の仕事をやめても、環境を変えても、それは人生という長い「ゲーム(試合)」の中では、戦略を変えるだけのことなんですよ。(と僕は解釈しています)。
つまり、人生においては「あきらめたら」は「自分で死を選ぶこと」で、転職や職場環境を変えることはあきらめではないということです。
時々聞きますが、「戦略的撤退」これは本当に適切な言葉だなと思います。
まとめ
最後にまとめです。
・環境を変えると、同じ努力をしても得られる結果が違ってくるということ。
・「仲間と働く感覚」、「主体的に働く感覚」これはあなたを良い方向に変えてくれるということ。
・職場を変えても、住む場所を変えてもそれは戦略の変更なだけ。「ゲーム(試合)終了」ではないということ。自分で人生を終わらせなければ、人生というゲーム(試合)は続けられるということ。「あきらめてない」ということ。
ということです。
この記事が少しでもお役に立てたら幸いです。
p.s.
年を重ねてだんだん涙もろくなってきました。
これは前頭葉の感情を抑制する機能が低下してきたことが原因なんだとか。。
人は20代半ばくらいに身体のピークがきますが、それ以降は徐々に低下傾向になります。
それが症状として現れているということですね。
時間が経つのは早いし、一日一日を大切にしないといけませんね。これがほんとに難しいです(笑)。
全力で生きてますが、いつも楽しむって難しくないですか(笑)
これを読まれた方がいらっしゃったら、意識していることだけでもいいので、ぜひあなたの工夫について教えて頂けませんか?教えてもらえたらありがたいです。
それではまた。